教養は、それを共有する者たちの間に、「話が通じる者同士」という連帯感を育て上げるのだ。こうして育った連帯感は、既成の「世間」を強化もするし、また「世間」を超えた新しい人間関係をもたらしもする。

(中略)

支那の士大夫階級が詩を作るときにふまえた古典も、この芸者が来訪者を形容するときにふまえた歌舞伎芝居も、彼らの時代、それぞれが属した階層が共有した必須の「教養」であった。教養とはこのように、日々の表現を、より豊かに的確に鍛え上げ、磨き上げる引用やたとえのカタログのごときものだった。あるいは同じ引用やたとえをパスワードとして、わかり合える仲間を深く出会わせる、インターネット上のフォーラムのような場所といってもよい。


浅羽通明『大学で何を学ぶか』p.181